氏名 | 山崎 昭博 (YAMAZAKI Akihiro) 私は日本人ですので、ローマ字アルファベット表記の場合でも姓を先に記すようにしています(クレジットカード等、名を先に記すよう指定されている場合は、しょうがないので従っています)。YAMAZAKIは、姓であることを示すためすべて大文字で書いています |
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性別 | 男 |
住所 | 埼玉県所沢市 |
石 | 6802,6502,6809,HD63C09,68000,8086,Z-80,PIC,H8/300 |
言語 | asm, Basic-09, C |
マイコン・電卓 パソコン | MZ-40K,PC-1211, FX-702P, PC-1251, Matsushita JR-100, Fujitsu FM-7, FM-77AV, FM-11, SHARP X68000, PC/AT compatibles... |
仕事 | 怪しいお兄さん・プログラマ・PC関係テクニカルサポート を経て、 現在、個人事業者。 仕事内容:パソコンシステム・ネットワーク管理請負、プログラマ(Linux組み込み・web関連、等々)、テクニカルライティングなど。 |
その他 | 元 Nifty-Serve OS-9フォーラム2代目Sysop "へっくす" です。
FOS9は私の代で、なくなりました。
FM-11とOS-9/6809, そしてOS-9/6309を楽しく使い、プログラミングを楽しんでいましたが、寄る年波には勝てず(?)、現在はWindows95/98・WindowsNT・そしてLinuxをほぼ完全にユーザとして使ってます・・・のはずが、最近はプログラマ業がメインの仕事となっています。
なお、「パソコン通信」時代は、HexOctなどと名乗っていました。 以前使っていたNifty-Serve ID:
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小学校5年 | SHARP "マイコン博士" MZ-40Kキットを親に買ってもらい、組み立てる
(念のために書いておきますが、MZ-80Kではありません。40Kです)。
とってもドキドキワクワクしながら、
作業机(正確にはちゃぶ台使用)の上にアルミホイル敷いて静電対策したりして、
おごそかにハンダ付けを行ったのを覚えています。
MK-40Kは、簡単な音階再生や、センサの扱いしか出来ない4bitマイコンキットでした。 ハンドブックに載っていた「ぷろぐらむ」と称する16進列を打ち込んで音階を鳴らしたりして少し遊びましたが、それしかできないんじゃあんまりおもしろくないわけで、すぐに飽きてしまいました。 これ、説明書に、機械語の説明とか、書いてありましたっけ? 書いてあったとしても理解できなかっんしょう^_^;; |
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小学校6年 |
小学校4年くらいから、「ラジオの製作」や、「初歩のラジオ」誌を読んでいたんですが、
これらに毎号製作記事が掲載されていた「デジタル・ゲーム」と称するものに非常に興味があったんですね。
TTLでロジック組んでLED光らしてゲームっぽくするやつですね。
トレーシングペーパーの感光基板用マスク紙がついててね。
年に何回か、秋葉原まで部品買いに行って、作るわけですが、不器用なもんでプリント基板作成に失敗したり、無事作れたら作れたで、わりとすぐ飽きちゃうし、お金かかるな〜と思っていたわけですよ。 そんなとき「まいこん」っていうものの存在を知ったわけですが、まいこんってやつは、ソフトを入れ替えるだけでいろ〜んなことが出来るっていうじゃないですか! さっそく、マイコンの本を買ってきました。 それが、タイトルは忘れましたが、電波新聞社の、NEC TK-80について書いてある本でした。 巻頭にはTK-80,TK-80E,BS-80(だっけ?TK-80のTV IF & KBつきモデル), MZ-80K(こんどこそ80K)、LKit-8(PANAFACOM?), LKit-16(FUJITSU?), 日立のベーシックマスターと、それより古いワンボードマイコンあああ名前が出てこない・・・などが紹介されており、本文はコンピュータの基本と、TK-80をベースにしたi8080マシン語入門・・だったと思います。 「TK-80原寸大写真 これでTK-80の操作を覚えよう!」なんてのがついていたような気がします。 覚えようったってほとんど16進キーだけなんですけどね^_^; この本、一所懸命読んだんですが、さっぱり理解できませんでした。 「あどれす(番地)」とか、要するにプログラムやデータがコンピュータ内部にどう格納されているのかが、感覚的に理解できなかった。後年(って2年後)実際にマシンを触ってみるまでは理解できませんでした。しかし、この本を繰り返し繰り返し眺めていたことは、のちに大きく役に立ったと思います。 |
(つづく・・・?)
1984年 | 今は亡き「パソコンワールド」誌が、このころ、「パソコン通信」をたびたび取り上げ、自身もパソコン通信実験ホストを立ち上げたりしていました。アメリカではとっくのむかしにThe SourceやCompuServeが立ち上がっていた時期(だと思う)で、向こうはずいぶんすすんでいるなあ、と思ったものです。
私は非常に興味を持って「パソコンワールド」誌を読んでいましたが、なにぶんまだ高校生であり、音響カプラなどとても手が届かなかったのです。 (まだEPSON CP-20などが出るまえで、カプラは無茶高い電電ファミリーのものか、あとは安いものでもTAMURAのもので15万円以上はしていたような記憶があります)。 音響カプラとは音声結合のモデムです。この装置には2つの吸盤のようなものがあり、それぞれ、マイクと、スピーカになっています。2つの吸盤?は、電話の受話器と同じ幅で配置されています。 音響カプラの使い方。
なんで音響カプラなんかを使っていたかっていうと、このころまだ日本の電話は自由化されておらず、家庭の電話機はしっかりと壁のローゼットにくくりつけられている場合が多く、電話機の交換すら自由には出来ない時代でした…って、なんだかえれー昔の話って感じだなあ。ジジイになったみたいでイヤだなあ だからモデムを付けるなんて簡単にはできず、そもそも普通には売ってなかったわけです。「パソコンワールド」誌にはモデムの製作記事なんてのも載っていました。300/1200モデム…なつかしい(ただし1200bpsは半二重。この、一瞬オオっと思った後でなーんだと来るフレーズもなつかしい。あとこのころ魔法のように思えたフレーズが「自動着信」ですね。カプラじゃ自動着信できないから^_^;;←半ばメカニカルな手法で可能にしていた凄い人もいるようですが)。 |
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1985年 | 記念すべきこの年、ついに日本の通信事情は変わりはじめました。電話の自由化が開始され、電電公社は民営化されてNTTとなり、家庭の電話機はモジュラジャック式にすることで自由に交換することができるようになりました。
そして当時の2大パソ^H^Hマイコン出版社である、「アスキー」「工学社(雑誌 I/O)」が相次いでパソコン通信実験サービスを開始しました。 アスキーは、ムックを買った人が(当初)無料参加できた ascii net、工学社は有料実験サービス TeteStar です。 TeleStarは、EPSON CP-20をセットにした入会プランがありました。私はそれを購入し、初めてのパーソナルなデータ通信機器を手に入れたわけです。もちろんascii-netにも参加しました。 そこで早くも発生したのが電話代問題です。当時はテレホーダイはいうにおよばず、各種電話割引サービスなんか皆無に等しい状態です。そもそも私は埼玉県在住、当時のパソコン通信ホストはまず東京23区内にしかないのでテレホーダイなんかあったとしたって使えない^_^;;。加えて、サルのようにチャットをする。当然、電話代は月3〜6万円となり、親には迷惑かけました^_^;;;。 それから、鬼のようなリダイヤルね…。プロバイダに電話がつながんねえぜリダイヤルしまくりでムカツクぜ全くとか言ってるあなたは幸せです。 ダイヤルアップソフトなりルータなりが勝手にやってくれるでしょ?せいぜいクリックしまくるだけでしょ? むかしはね、むかしは、いちいち手でジーコジーコとダイヤルしてたんですよ…。プッシュホンな場合、パソコン通信ホストの電話番号を指が覚えていたもんですよ…。つながったかどうかは耳で判断するですよ…。つながったらカプラをはめたりするですよ…。それにくらべたらあなた…。 |
(つづく・・・?)